フォトグラファー、文学研究者、ライター。
関西大学社会学部メディア専攻講師。
毎日広告デザイン賞最高賞や、National Geographic社主催の世界最大級のフォトコンテストであるNature Photographer of the Year “Aerials” 2位など、国内外での表彰多数。写真と文学という2つの領域を横断しつつ、「その間」の表現を探究している。滋賀、京都を中心とした”Around The Lake”というテーマでの撮影がライフワーク。日経COMEMOで記事執筆中。フォトグラファーとしての知見を活かして、インバウンドや地方創生事業、SNS運用のコンサルタントなどにも関わる。
かつて「次世代機」という言葉が、いろんなコンシューマープロダクトを賑わした時代があったように思う。パソコンやゲーム機、冷蔵庫やヘアドライアーでも見た記憶がある。でも最近「次世代機」なんて表現、もうほとんど出てこなくなったのは、おそらく2000年台あたりから加速度的に進んできた、現行のパラダイムでの「技術革新」の速度が、臨界点に差し掛かって来ているからだろう。すでに今僕らは「次世代」を持てない時代に入ったんじゃないか。毎年惰性で機種変しつつ使うスマートフォンは、まさにその象徴。かつて、黒いタートルネックの偉大なビジョナリーがポケットから出す端末の一つ一つに未来を感じた熱狂の時代は終わりを迎え、あのワクワクする「次世代」は、その輝きと共に過去へ過去へと押し戻されながら、スマートフォンは僕らの生活に音もなく溶け込んでいく。
2021年の秋、急に周囲が騒々しくなった。野心と夢がないまぜになった時に現れる、あのワクワクした感じ。そう、久しぶりに「次世代」を、あるいは未来を予感させるスマートフォンが登場したのだった。その萌芽はすでに2018年に芽吹いていたのだが、それがついに2021年、大きな花を咲かせつつある。
いま「次世代」が、未来が、僕らの手元にきた。